2018年

4月

03日

ピョンチャン・パラリンピック報告 4

アルペンコースでの出会い・その2

 

ピョンチャンのアルペンコースでは、韓国以外から来たと思しきスタッフが非常に目立ちました。観察していると、彼らは英語でもドイツ語でもない言語を使い、母国語でコミュニケーションをとっている模様。いったい彼らはどこから来ているのか。その答えは、大会終盤の男子スラロームの日に明らかになりました。

 

撮影ポジションで待機していると、コース係の一人が英語で話しかけてきました。そこでわかったのですが、彼の住むところはモスクワ! そう、ピョンチャンのアルペンコースづくりを支えていたのは、ロシアからの皆さんだったのです。

 

その男性はアレクセイといい、とてもフレンドリーで、日本への思い入れを熱く語ってくれました。

 

「僕は、日本というのは別の星なんじゃないかと思っているんだ。電化製品、自動車、どれも本当にすばらしい。もう何台もトヨタに乗り続けているよ」

「日本海を見るのが、ずっと夢だったんだ。この前、ついにその夢がかなった。何時間も車を走らせてたどり着いたんだけど、もう日が落ちる時間で、わずか5分しか見ることができなかった。あとはもう真っ暗。でも、日本海の水に触れることができたから、夢はかなったよ」

 

アレクセイとはfacebookで友達になり、連絡先も渡しました。

 

「僕は音楽もやっているんだ。今度、僕の作った曲を送るよ」

 

そのうち、彼の曲が送られてくるかもしれません。なんだか楽しみです。

 

さて、彼との出会いから感じたのは、韓国のアウトソーシングの上手さです。おそらく日本の場合、オリンピックやパラリンピックではできる限り自国の人材でなんとかしようとするのではないでしょうか。一方、韓国はロシアからの助っ人をアルペン会場の主力に据え、そこに自国のスタッフを融合させることで、競技運営をスムーズに運ぶ方法を選びました。これは非常に合理的です。

 

またアイスホッケー会場では、ゲームの随所にエレクトーンの生演奏が流れましたが、その奏者はアメリカもしくはカナダから呼ばれたプロだったと思います。タイミングも選曲もドンピシャで、会場の雰囲気づくりにおおいに貢献していたのが印象的でした。そしてそのエレクトーンに絡むのが、おそらく地元韓国のDJで、この人も良かった。会場のみんなが知っている曲を巧みに織り込み、盛り上げていました。

 

2020年東京大会の運営がどうなるのか、まったくわかりませんが、適材適所で海外からの力を借りるのもよいのではないか。そう思わされたピョンチャンでの体験でした。

2018年

4月

03日

ピョンチャン・パラリンピック報告 3

カンニング竹山さんの指摘を読んで思ったこと。

https://dot.asahi.com/dot/2018032000082.html?page=1

 

「とても魅力的」とメディアに感じてもらえるようなコンテンツに、パラスポーツはもっともっとならないといけないとは思います。ただ、メディアに取り上げられることで広く魅力が伝わるわけで、鶏が先か卵が先かの話になると思うんです。

 

現場にいると、日本からの取材者の数に圧倒されます。新聞社、通信社、フリー記者やカメラマン、そしてテレビ関係者など、地元韓国をはるかにしのぐ人数がピョンチャンにやって来ていました。聞いた話では、ピョンチャン・パラリンピック取材および放送関係者の半数は日本のメディアだったとか。その様子を見た海外の人は、「日本ではよほどパラリンピックの人気が高いんだな」と感じたのではないでしょうか。実際、今大会ではNHKがこれまで以上に放送に力を入れたほか、新聞各社の報道量もかなりのものがあったと思います。

 

にもかかわらず、竹山さんのように「テレビでやっていない」「報道が少ない」と感じる方がいらっしゃることは、twitterやYahoo!ニュースのコメントなどから伝わってきました。その理由は、「民間放送(民放)地上波で取り上げる時間が短い」という点に尽きると思います。ニュースなどでは扱われていたはずですが、その時間はおそらくオリンピックよりも短く、また競技中継もされなかったはずです。なぜなら、ピョンチャン・パラリンピックの放映権を獲得していたのはNHKのみだからです。オリンピックでは、ジャパン・コンソーシアム(JC)というNHKと民放が合同で放映権を取る仕組みがありますが、パラリンピックでJCが組まれた例はなく、今回もNHK単独となったわけです。ですから、ときどき目にする「NHKが独占するから民放が放送できない」という指摘は誤りで、「民放が放映権獲得に乗り出さなかったためNHK単独になっている」というのが実情なのです。

 

冒頭の話に戻ると、「とても魅力的で、お金を出してでも放送したい」と民放各社に思ってもらえるようなパラリンピックにすること。これが、今後の大きな課題といえます。おそらく2020年東京大会では、それもかなりクリアになるのではないかと期待しています。

 

期待といえば、個人的に勝手に期待して勝手に残念に思ったことがあります。1998年長野大会でアルペンの大日方邦子とバイアスロンの小林(井口)深雪さんが金メダルを獲得したとき、翌朝の日刊スポーツの一面全面を飾りました。あれから20年の時を経て、パラアスリートの話題が一面を埋め尽くす日がまた訪れたのではないかと心躍ったのが、アルペンの村岡桃佳選手とクロスカントリーの新田佳浩選手という二人の金メダリストが誕生した翌日(15日)のことです。

 

ところが、検索した画面を見せてもらうと、一面を飾っていたのはプロ野球オープン戦の話題! ああ、がっかり! わざわざ調べてくれたメディア仲間のO君に、「日本から野球がなくなってしまえばいいのに!」と思わず悪態をついてしまいました(ちなみにO君は元球児です)。別に野球は嫌いではありませんし、むしろ好きなほうなのですが、新聞の野球偏重ぶりにはときどき腹が立ちます。今の時期ぐらい、まだ開幕していないプロ野球より、パラリンピックに限らずウインタースポーツをもっと取り上げてくれてもいいのではないでしょうか。

 

「人気がある競技に報道が偏るのは仕方ない」という意見もあるかと思いますが、ここでまた冒頭の鶏と卵の話にループします。報道されることによって注目や人気が高まることは、先のオリンピックにおけるカーリングなどを見ても明らかです。メディアの端くれとしての自分もいるので、立ち位置が少々ぐらぐらしますが、ここでパラ関係者の一人としてお伝えしたいのは、「我々ももっと努力するので、ぜひ関心を持って報じてください」という願いです。

 

以上、長くて読みにくい文章になったかもしれませんが、ご容赦ください。

2018年

4月

03日

ピョンチャン・パラリンピック報告 2

※ facebook投稿より転載

 

アルペンコースでの出会い・その1

 

忘れないうちに、ピョンチャンで印象に残った出来事を記しておきます。

 

男女GSの1本目、コース上部の撮影ポジションで競技開始を待っていると、すぐそばにコース係の韓国の若者たちがやってきました。ここが彼らのポジションでもあるようです。その中に、日本語を話せる青年が一人いて、私に話しかけてきました。独学で日本語を学んだそうで、沖縄に行ったことがあるとのこと。そして、こんなことも言いました。

 

「私たちはみんな桃佳のファンなんです」

 

昨年のプレ大会で村岡桃佳選手の滑りを見て、応援したくなったのだそうです。彼のジャケットの袖には、村岡選手のサインがありました。

 

やがて競技が始まり、お互いに仕事に集中したわけですが、女子1本目が終わると、彼が笑顔で声をかけてきました。

 

「桃佳が1番ですよ!」

 

本当にうれしそうな彼に、「応援ありがとう」と伝えて、私は移動しました。その後、村岡選手は2本目でさらにリードを広げ、今大会初の金メダルを獲得したことは、ニュースで報じられたとおりです。

 

正直なところ、韓国の人は日本人のことをあまり良く思っていないのではないか、という不安がありました。しかしピョンチャンでは、そんなふうに感じさせられるシーンは、ただの一度もありませんでした。それどころか、大会ボランティアのフレンドリーさ、レストランの方のやさしさ、そして観客の盛り上がりなど、随所にホスト国としての韓国のレベルの高さを見た思いがしています。

 

次は、2020年東京大会です。世界中から訪れる選手団やメディア関係者、そして観客の方たちを、私たちはピョンチャンの人たちのように温かく、そして自らも楽しみながら迎え入れることができるでしょうか。大会期間中の出来事を振り返ってみると、とても大きな宿題を隣国から持ち帰ってきた気持ちになります。

2018年

4月

03日

ピョンチャン・パラリンピック報告 1

※ 半ば眠らせていたブログを久々に更新してみようと思ったのは、ピョンチャン・パラリンピックでの出来事について、facebookにそれなりの長さの文章を書いたためです。妙な話ですが、「あれをブログに持っていったほうがいいよ」と、昨夜、夢の中でアドバイスをされました。誰からかはわかりません。たぶん脳内の備忘録的な機能が働いたのだと思います。とりあえず、脳内アドバイスに従って、いくつかの投稿を転載します。

 

※ 以下、facebookより転載です。

 

ピョンチャン・パラリンピックでは、iPhoneの故障以外にもアクシデントがありました。現地で心配をおかけした方もいらっしゃるので、遅ればせながら顛末をご報告します。

 

実は、撮影終了後のスキーでの移動中に大転倒して、肋骨周辺を痛めてしまいました。状況を説明しますと、フィニッシュライン手前でコース外に出る際、ただでさえ通路が狭い上に人がいたため進路を少し変えたところ、グサグサの雪だまりにスキー板をとられて、ネットに突っ込み派手に前転。ソフトケースに入れた望遠レンズを抱えていたので、脇の下にダメージをくらいました。

 

そのときは、なかなか呼吸が整わないのと、肋骨あたりに痛みが走る程度で、すぐに起き上がって滑り出すことができました。しかし、その2日後、車いすカーリング会場からメダルセレモニー会場に移動している間に症状が急変。痛みのレベルが一気に跳ね上がり、そして呼吸困難に陥ってしまいました。

 

それでも、村岡桃佳選手の金メダル授与を撮らなければと、気持ちだけは前に向かうのですが、身体が全然ついてきません。一歩を踏み出すのさえ苦しく、「これはまずいことになった」と嫌でも自覚させられました。そのとき同行していたメディア仲間に助けていただいたことで、なんとか撮影はできたのですが、体調は依然として危うく、日本選手団団長を務める妻の大日方にSOS電話をすることに。団長経由でドクターに症状を伝えたところ、気胸の疑いがあるので、すぐに病院に行ったほうがよいとの指示をいただき、24時間対応の大会指定救急病院を教えてもらいました。

 

すぐにピョンチャンからカンヌンまでバス移動。そこからタクシーで病院へ。ここでは、病院駐在の大会ボランティアにとても助けられました。痛み止め注射の後、レントゲン撮影。幸いなことに骨に問題はなく、痛み止めの飲み薬をいただいて、事なきを得ました。

 

翌日は山に上がらず、安静にしましたが、残りの日程をどうにか乗り切って、大会最終日を迎えることができました。何かとお気遣いいただいたルームメイトとメディア仲間には、本当に感謝の気持ちしかありません。ありがとうございました!

 

帰国した今も痛みはあります。しかし、あの動けなくなるような激痛と呼吸困難には襲われていません。このまま様子を見つつ治癒を待つことになると思います。

 

以上、ピョンチャン大転倒のご報告でした。

2013年

10月

10日

北欧の旅【9月19日/オスロ~コペンハーゲン~成田】

オスロからコペンハーゲンへ

 

北欧の旅も、いよいよ最終日を迎えました。本日、オスロを発ち、コペンハーゲン経由で成田へと飛びます。

 

空港までの交通機関は、バスを利用します。昨日のうちにチェックずみのバスターミナルは、中央駅から少しだけ離れていて、ホテルから歩くと少々距離がありました。

 

私たちが乗ったバスが、これです。車いす対応のバスらしいのですが、険しいステップがあります。おそらく何らかの装置が付いているのだろうと思いますが、今回は使わずに自力でクリアしました。

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2013年

10月

10日

北欧の旅【9月18日/オスロ】

オスロの街を歩く

 

昨夜遅くに到着したオスロの市街を、今日は散策します。暗くて心細かったホテル周辺も、昼間はまったくもって健全な雰囲気です。とりあえず、カール・ヨハン通りを王宮方面に向かってみましょう。

 

ここオスロも、他の都市と同様、自転車の存在感が大きいようです。これは3輪の自転車タクシー。街角でスタンバイ中。

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2013年

10月

09日

北欧の旅【9月17日/ベルゲン~オスロ】

ソグネフィヨルド観光

 

行方不明になっていた荷物も無事に手元に戻り、今回の旅でもっとも観光らしい観光であるフィヨルド見物に出発します。

 

ヨーロッパで一番長く深いというソグネフィヨルドを、ほんの少しだけ通るお手軽かつポピュラーなルート。まる一日かけて、いろいろな乗り物を乗り継ぎ、最終的にはノルウェーの首都オスロに到着します。

 

道程はこんな感じ。立山黒部アルペンルートみたいですね。

 

ベルゲン

 ↓ 列車

ヴォス

 ↓ バス

グドヴァンゲン

 ↓ フェリー

フロム

 ↓ フロム鉄道

ミュールダール

 ↓ 列車

オスロ

 

ホテルを出て、しばし歩いて、フィヨルドへの玄関口となるベルゲン駅へ。ホームには、なかなか渋い雰囲気の列車が待ち構えていました。

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2013年

10月

08日

北欧の旅【9月16日/ストックホルム~ベルゲン】

さらばストックホルム

 

本日は移動日。昨夜から雨模様でしたが、朝起きると本降りになっていました。

 

今さらですが、ストックホルムの滞在先を紹介します。リカ・ホテル・クングスガタンというところで、デパートの中にあるため外観はまったく目立ちません。

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2013年

10月

08日

北欧の旅【9月15日/ストックホルム】

中央駅から市庁舎へ

 

ストックホルム滞在2日目の朝、ふらりふらりと市庁舎方面に向かってみます。その道すがら中央駅に立ち寄り、明日に乗る空港行きの列車などを確認。

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2013年

9月

28日

北欧の旅【9月14日/ストックホルム】

ストックホルム到着

 

朝、船室で目を覚ますと、窓の外は大雨でびっくり。船は島々のすぐ近くを進んでいて、天気が悪くても美しい景色です。島はどれも森がいっぱいで、その中に小さくかわいらしい家が建ち、その家の前には桟橋があって自家用と思しき船が停まっています。どういう人たちが、こんなにうらやましい生活をしているのでしょうか。

 

ちなみに、ここはもうスウェーデン。北欧3か国めに突入しました。

 

ビュッフェ形式の朝食は7時から。その時間に合わせてレストランに行ってみると、まだ入り口は閉まっていて、食事がとれそうな雰囲気が微塵もありません。どうやら、眠っている間に船の中がフィンランド時間からスウェーデン時間に切り替わったようです。つまり、まだ6時だったということですね。

 

時計を時差調整し、あらためて7時にレストランへ。今度は大丈夫でした。

 

食事からほどなくして、到着間近のアナウンスが流れると、人々がバタバタと動き始めました。そんな流れに逆らって、あえてデッキへ。そして、到着の瞬間を外で迎えます。

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2013年

9月

27日

北欧の旅【9月13日/ヘルシンキ~ストックホルム】

岩の教会へ

 

ヘルシンキ最終日。午後まで時間があるので、また街を散策していきます。

 

途中、歩行者と自転車の専用道路を発見。首都のど真ん中にこういうものが整備されているのがうらやましい。東京の場合、日曜日に皇居前がサイクリングロードとして開放されていますが、あれが毎日あるようなものですね。

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2013年

9月

27日

北欧の旅【9月12日/ヘルシンキ】

ヘルシンキの街並

 

10階のレストランで朝食をとり、ついでにテラスに出て写真撮影。

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2013年

9月

27日

北欧の旅【9月11日/コペンハーゲン~ヘルシンキ】

コペンハーゲンの朝

 

コペンハーゲンを発ち、北欧2か国目のフィンランド、ヘルシンキに向かう日です。

 

朝、ホテルのベランダから外を眺めると、やっぱり自転車、自転車……。ちょうど出勤時間だったのでしょう。とにもかくにも、コペンハーゲンは自転車の街です。

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2013年

9月

26日

北欧の旅【9月10日/コペンハーゲン】

到着翌朝からは終日、コペンハーゲン観光です。

 

ホテルのベランダから、中央駅方面を眺めたところ。パッと見て、セブンイレブンと自転車が目に入ってきます。実際、セブンイレブンはいたるところにありました。ここコペンハーゲンでは、アルコール類も販売しています。また自転車の多さにもびっくり。専用レーンが設けられていて、ママチャリ風からロードバイクまで、みんなガンガン走っています。

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2013年

9月

26日

北欧の旅【9月9日/成田~コペンハーゲン】

今回の旅のコンセプトのひとつ、「できるだけ公共交通機関を使う」を、さっそく日本国内から実践してみました。空港までの足は、成田エクスプレスです。これまではほぼ100%、車での移動だったので、これは新鮮でした。荷物を減らした効果を、いきなり実感できていい気分です。

 

通信環境の確保

 

そして空港では、事前に予約しておいた海外用モバイルWi-Fiを無事に入手。これにiPhoneとiPad miniをつなぐ計画です。北欧4か国をまわると「ヨーロッパ周遊」というタイプになり、データの総使用量が1GBに達すると使用できなくなるという時限爆弾が付くのだそうです。いきなり使えなくなるのは困りますが、どの会社の説明を見てもそういうものらしいで、割り切って借りることにしました。おもな用途は、旅先での各種検索と道案内、メールの送受信ぐらいですから、おそらく大丈夫だろうという判断です。ホテル等にWi-Fiサービスがあれば、そちらを利用すればいいわけですしね。

 

ちなみに、先に結果報告をしますと、最終日まで無事に使用できました。借りた先は、以下のとおり。

 

JAL エービーシー
http://www.jalabc.com/index.html

 

成田出発

 

今回利用した航空会社は、スカンジナビア航空(SAS)です。日本との往復以外にも何度か飛行機移動がありますが、すべてSASになりました。

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2013年

9月

25日

北欧の旅【準備編】

北欧4か国を旅してきました。超久しぶりのブログ更新は、その報告です。

 

旅のコンセプト

 

●前々から訪ねたいと考えていた北欧へ、思い切って出かけてみよう。
●なかなか行けないところなので、あちこち行ってみよう。
●海外というと雪山(=田舎)に行くことが多く、夫婦そろって意外に都市を知らない。そこで今回は、北欧の代表的都市を巡ってみよう。
●福祉国家として知られる北欧のバリアフリー事情を見てみよう。そのために、公共交通機関を積極的に使おう。

 

これが今回の旅行のコンセプトです。
旅行期間は、2013年9月9日~20日。ざっくりとした旅程は以下のとおり。

 

●成田~コペンハーゲン(デンマーク)
●コペンハーゲン~ヘルシンキ(フィンランド)
●ヘルシンキ~ストックホルム(スウェーデン)
●ストックホルム~ベルゲン(ノルウェー)
●ベルゲン~フィヨルド観光~オスロ(ノルウェー)
●オスロ~コペンハーゲン
●コペンハーゲン~成田

 

のんびりゆったりの旅行が好きな私たち夫婦ですが、今回はコンセプトをがらりと変えてみました。裏を返せば、北欧の知識が乏しいがために、絶対に行きたい、長く滞在したいと思える場所が思い浮かばなかったということでもあります。それでも北欧には行きたい。漠然としたイメージしかないけれど行ってみたい。ならば、主要都市を巡るのが最良なのではないか。駆け足にはなるけれど、北欧初心者としてはそれもいいのではないかということで、今回の旅程が決まりました。

 

さて、いざ旅行に出ると決めたものの、準備期間が少々短めで、なおかついろいろと業務が立て込んでいたため、個人手配はあきらめてツアー会社を利用しました。今回お世話になったのは、以下の会社です。

 

フィンツアー
http://www.nordic.co.jp/

 

ここで用意している個人旅行用ツアーをベースに、いくつかの延泊を加えた旅程を立ててもらいました。

 

旅の荷物

 

移動を重ねる旅になるので、荷物はできる限りコンパクトにすることを心がけました。ただ、日本は残暑の真っただ中ですが、あちらはすでに夏も終わって秋本番とのこと。持っていくべき衣服も、常夏リゾートに比べれば少々かさばります。とはいえ、スキーをしにいくわけではないので、削ろうと思えば削れるもの。結果的に、二人分の荷物をスーツケースひとつにまとめることに成功しました。あとは、大きめのバックパックに何でも放り込んで対応します。

 

続いてカメラ。せっかくの旅なので一眼レフも考えましたが、ボディ1台+レンズ2本+ストロボとなるとさすがに重い。結局、日寄りました。持っていったのはコンデジです。ただ、より広角が欲しくて、ワイドコンバーターを追加購入しました。

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2012年

9月

01日

パラリンピック、15年前の“騒動”を振り返る

オリンピックに引き続き、パラリンピックで盛り上がっているロンドン。その模様が、さまざまなメディアで報じられています。報道の量もさることながら、ずいぶんと変わったなと思わされるのが、その中身。かつては、「スポーツとして扱ってください」などと選手や関係者がことあるたびに声を上げていたものですが、もはやその必要はありません。オリンピック取材の視点が、そのままパラリンピックにも適用されているように思えます。

 

そんな報道を見ていて、ふと思い出したことがあります。1998年の長野パラリンピック開催前にちょっとだけ騒動になった、ある出来事。ロンドン・パラリンピックを機に、振り返ってみます。

 

『月刊スキージャーナル』1998年6月号の長野パラリンピック特集からの引用です。

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2012年

6月

29日

続・スキーヤー、玉田哲也

3月の岩岳OB戦を目標にしてガンと戦っている玉田さんのために、急きょ「横浜市大スキー部 2012年度第1次OB合宿」を企画しました。大会に向けて気持ちを盛り上げるために、あえて合宿と銘打ちましたが、その中身は「土曜日に集まり、日曜日にみんなで滑って帰る」という、ゆるゆるの集まりです。日程は、玉田さんの通院スケジュールを確認した上で決めました。もちろん宿泊先は、学生時代の定宿「入山登(いりやまと)」です。

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2012年

6月

14日

スキーヤー、玉田哲也

玉田哲也というスキーヤーのことを書きます。

 

オリンピックに出たわけでも、ナショナルチームの一員として活躍したわけでもありません。でも玉田さんは、私にとってスーパーヒーローでした。

 

話は、今から30年近く前までさかのぼります。

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2012年

2月

16日

Facebookとブログの使い分けに悩む

Facebookを使い始めて数か月。最初のうちは「???」でしたが、今ではすっかりハマっています。

では、何が良いのか。自分なりに考えてみました。

 

 (1)更新がとても簡単

 (2)読んだ人の反応がすばやく得られる

 (3)思いがけない人とつながる

 (4)知り合いの近況がゆる~くわかる

 

とりあえず、こんな感じです。

ひとりでいる時間が長い自分にとって、「社会の窓」となっている感もありますね。

 

さて、Facebookに慣れてしまった今、ちょっとした悩みのタネなっているのが、このブログに何を書くべきか、なんです。

自分の近況や、ちょっと思いついたこと、みんなに広めたいことなどは、Facebookに書くのがお手軽で、実際にそうしています。では、Facebookに書かずにブログに書くべきこととは何か。そこで悩んでしまうんですね。

 

Twitterほどではないにせよ、Facebookもあまり長文には向かないツールだと思います。だから、まとまった文章を書きたいと思ったときには、ブログを活用すべきでしょう。ただ、Facebookをちょこちょこ更新していると、それで満足してしまい、なかなかブログに気持ちが向かないんです。困ったものです。

 

そんなわけで、もともとマメではなかったブログの更新が、ますます滞りがちになっております。ご容赦ください。長文を書きたくなるネタに出会った際には、今後もこのブログを活用していきます。

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2011年

9月

15日

続々々・ピストリウス選手のこと

前回リンクしたスポーツ仲裁裁判所の裁定には、国際陸上競技連盟が実施したテスト内容が不充分であったこと、そして証拠として出された要約が正確ではなかったこと、別の測定では異なる結果が出ていること、などが書かれています。そして、ピストリウス選手の競技会出場を認めないのは不当だという結論に至っているわけです。

 

ただし、今回の裁定はピストリウス選手のみに適用されるものであって、ケース・バイ・ケースで対応すべしということのようです。

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2011年

9月

08日

続々・ピストリウス選手のこと

ピストリウス選手の世界陸上への出場に、いわばお墨付きを与えたのが、スポーツ仲裁裁判所(CAS:Court of Arbitration for Sport)が出した下記の裁定です。

 

Arbitration CAS 2008/A/1480 Pistorius v/ IAAF, award of 16 May 2008

 

現在、必死に読み込んでおります。英語が苦手なもので……。

 

そんなわけですので、続きはもう少々お待ちください。

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2011年

9月

06日

続・ピストリウス選手のこと

オスカー・ピストリウス選手の話題は、旧ブログ時代にも何度か取り上げてきました。あらためて読み返していくと、手前味噌ぎみではありますが、これまでの彼の歩みを少しだけたどることができたような気がします(文中でリンクしているニュース記事の中には、すでに消えてしまっているものもありますが……)。

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2011年

9月

04日

ピストリウス選手のこと

世界陸上に出場を果たしたオスカー・ピストリウス選手(南アフリカ)。彼について個人的に思うところをまとめてみようと原稿を書き始めたのはいいのですが、なかなか考えがまとまらずに、ここ数日、書いては直し、書いては直しを繰り返していました。

 

いつまでもいじくりまわしていても仕方ないので、思い切ってバッサリと捨てて、まずは結論だけを書くことにします。

 

言いたいことは二つ。

 

「ちゃんと規定を守り、標準記録を突破して代表に選ばれて出場したのだから、今大会で彼が走ったことに関して、とやかく言うべきではない」

 

「とはいえ、今大会における彼がいわば特別な存在であったことは間違いないので、障害を持つ選手が健常者と競い合うためのルール作りを、これからより厳密に進めていく必要があるのではないか」

 

とりあえず、以上です。続きはまたあらためて。

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2011年

8月

18日

フィリピン訪問レポート

大日方邦子フィリピン訪問レポート

国際協力について一人ひとりが考え、取り組んでいこうという「なんとかしなきゃ!プロジェクト」。その活動の一環として、3月に大日方邦子がフィリピンを訪ねたときのレポートが、公式サイトにアップされたので報告します。フィリピンには私も同行し、写真撮影を担当してきました。

 

http://nantokashinakya.jp/projects/member_reports/06KunikoObinata_Philippines.html 

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2011年

8月

04日

「最後に」 モンド闘病記【7/3~】

あれから1ヶ月が過ぎた。これをひとつの区切りとして、モンドの話はひとまず終わりにしようと思う。

 

モンドが息を引き取った日の夜は、床に布団を敷いて添い寝をした。もしかしたら夢に出てきてくれるかと期待したのだが、残念ながらそれは叶わなかった。

 

そして翌日、軽井沢の庭で送った。向かいのマシマさんに教えてもらったペット葬祭の業者を呼んだのだ。マシマさんも2年前に愛犬ジンちゃんを亡くしている。だから相談に行ったのだが、つらかった日々を思い出させてしまったようで、申し訳なかった。でも、わざわざ花を持ってモンドのお別れにも来てくれた。

 

新緑の緑、空の青、雲の白。夏らしく晴れた日だった。大好きだった軽井沢の庭の隅で、モンドは天に昇って行った。

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2011年

7月

21日

「別れ」 モンド闘病記【7/2】

モンドがいなくなって、もうじき3週間。いわゆる「ペットロス」というものを、思い切り味わわされている。ものすごい喪失感だ。

 

よその犬を見ると、何とも言えない気持ちになる。かわいいのだが、つらい。犬の声はもちろん、少しでも似た音(何かがこすれるようなキュッという音や、子供の嬌声など)が聞こえるたびにドキッとして、周囲を見回してしまったりもする。また、近所の道を歩いていると、モンドとの散歩が思い起こされて、猛烈に悲しくなるときがある。

 

それでも、闘病記を締めくくらなければという気持ちが、ようやく出てきた。モンドとの別れの日のことを書こうと思う。

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2011年

7月

06日

「願い叶わず」 モンド闘病記【6/26~】

モンドが逝ってしまった。

 

闘病記をしばらく続けるつもりだったのに、それも叶わなくなった。

 

退院してから亡くなる前日までの数日間、本当に元気に過ごしていただけに、「なぜ?」という思いを消し去ることができない。

 

よく通った代々木公園にも行けた。さすがにドッグランは無理かとも思ったが、ぐいぐいと力強く引っ張りながら向かっていくので、中に入れて遊ばせてあげることにした。他の犬たちと触れ合い、ときには小走りまでして、楽しい時間を過ごした。

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2011年

7月

04日

モンドが旅立ちました

7月2日土曜日、モンドが息を引き取りました。

こんなことになるとは思ってもいませんでした。

詳しい話は、おいおい書いていくつもりです。

今はまだ、気持ちの整理がついていません。

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2011年

6月

30日

「退院」 モンド闘病記【6/24~6/25】

24日朝、病院に電話。「連れて帰ってもよい」とのことで、すぐにバッグ持参で向かう。

 

ヒゲ先生から説明あり。

 

・今後は、家で薬を飲ませながらの生活になる。薬は次の3種。

・脳圧を下げる液状の薬(朝夕)。

・ステロイド他の錠剤(朝夕)。

・胃を保護する薬(朝夕の食事1時間前)。

 

これらの薬で、脳の炎症を抑え、体への影響を防いでいく。ただし、何度も書いているとおり、完治は望めない。残念ながら、腫瘍はモンドの頭の中で成長してしまう。

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2011年

6月

27日

「面会」 モンド闘病記【6/23】

23日朝、モンドに会いに病院へと向かう。もしかしたら元気になっていて、連れて帰れるかもしれないと、バッグもしっかり持った。

 

休診日だというのに、病院ではたくさんのスタッフが働いていた。今日の担当は、女性の先生。

「すごく元気になりましたよ。朝になったら自分で立ち上がっていて、ビックリしたんです」。

どうやら薬が効いてくれたらしい。本当に良かった。

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2011年

6月

24日

「検査結果」 モンド闘病記【6/21~6/22】

6月21日の夜10時すぎ、携帯電話に着信。

 

その瞬間、大げさではなく本当に腰が浮き上がった。番号表示を見ると、やはり動物病院から。祈りながら通話ボタンを押す。男性の先生(以下、ヒゲ先生)からだ。

「とくに何かあったわけではないのですが、ご心配されているかと思いまして」。

とてつもなく驚かされたけれど、その心遣いはありがたかった。これは心臓に悪い。

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2011年

6月

24日

「病気発覚」 モンド闘病記【6/20~6/21】

2002年以来ずっと一緒に暮らしているモンド(トイ・プードル/オス)が、病魔につかまりました。本サイトのタイトル画像にもなっている彼の状況を、このブログに記しておきたいと思います。

 

飼い犬が重い病気になり、不安でいっぱいの方は、とにかく情報を集めようとネット検索に走るのではないでしょうか。私もその一人で、病気が確定するまでは症状を、確定後には病名を検索ワードにして、まず調べてみました。そしてその結果、さまざまな情報に触れることができました。病気の性質からして、あまり明るくない話ばかりでしたが、それでも知らないでいるよりはずっとマシです。おかげで、なんとなく心が落ち着きました。

 

今後、私と同じように「犬 脳腫瘍」というキーワードで検索する飼い主さんの参考に少しでもなれたらという願いを込めて、これからブログを書き進めていきます。

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2011年

6月

10日

訃報

ただ、ただ、残念としか言いようがありません。

 

私が尊敬するカメラマンの一人、渡辺正和さんが撮影中の事故で亡くなりました。信じられません。

 

およそ10年ぶりに正和さんに電話をかけたのが、つい先日のこと。「いろいろと相談したいことがあるのでお会いしたい」という唐突なお願いだったにもかかわらず、こころよくOKしていただき、久しぶりの再会を果たせました。会うなり、「変わってないねえ」と正和さん。いやいや、正和さんの笑顔こそ変わっていませんでしたよ。

 

お互いの近況を話し、仕事やカメラ機材の相談にも乗っていただいた数時間。たまたま障害者スポーツ関連の撮影話が舞い込んできたばかりだったそうで、私から突然連絡が来たことと合わせて、「こういうのは偶然じゃなくて、きっと縁なんだよね」と言っておられました。

 

そして、その数日後にも、とあるパーティでご一緒する機会がありました。10年もお会いしていなかったのにもかかわらず、立て続けに顔を合わすことになって、お互いにびっくりしたものです。

 

あの再会からまだ2週間も経っていないというのに、まさかこんな報せを受けるとは。

 

あのときに手渡されたアイルトン・セナの写真集が、形見になってしまったじゃないですか。勘弁してくださいよ、正和さん。そういうつもりでもらったわけじゃないんですから。

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2011年

6月

03日

JICA's World

国際協力機構(JICA)の広報誌『JICA's World 2011年 6月号』に、3月にフィリピンで撮影した写真が載りました。最終ページ(いわゆる表4)の「わたしのなんとかしなきゃ!」という連載記事です。

 

ネットからでもPDFで読むことができるので、よろしければご一読を。

 

JICA's World

 

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2011年

6月

01日

ご心配いただきまして……

先日、昔お世話になった方々に十数年ぶりにお会いする機会がありました。そして、「指、どうしたの?」と聞かれまくってきました。指2本まとめて派手に固定していたケガ直後に比べれば、今は人差し指の先に小さな装具をテープ止めしているだけなので、だいぶマシになっています(包帯は自己判断で外しています)。とはいえ、アクセサリーとして見るには異様なことに変わりはなく、事情を知らない人に訝しがられるのも無理はないでしょう。

 

参考までに、私の右手人差指の内部はこんなことになっています。

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2011年

5月

30日

街頭募金に多くのご協力をいただきました

松屋銀座店の前で募金活動中のパラリンピアンたち
松屋銀座店の前で募金活動中のパラリンピアンたち
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2011年

5月

25日

5月28日(土)、パラリンピアンによる街頭募金活動があります

東日本大震災で被災した障害者スポーツの仲間を支援するために、パラリンピック出場経験者(パラリンピアン)たちが街頭募金活動を行なうそうです。

 



◆開催日時=2011年5月28日(土)  
◆場所=松屋銀座1階正面入り口付近(東京都中央区銀座3-6-1)
◆活動時間=12:00~15:00  ※雨天決行

◆参加選手(※予定:当日急遽変更となる可能性あり)
 河合純一(水泳・金メダリスト、日本パラリンピアンズ協会・会長)
 大日方邦子(アルペンスキー・金メダリスト、日本パラリンピアンズ協会・副会長)
 鈴木孝幸(水泳・金メダリスト)
 狩野亮(アルペンスキー・金メダリスト)
 森井大輝(アルペンスキー・銀メダリスト)
 秋山里奈(水泳・銀メダリスト)
 神谷千恵子(アーチェリー・銀メダリスト)
 三澤拓(アルペンスキー・日本代表)
 木村敬一(水泳・日本代表)
 永野明(ハンドサイクルランナー)

 

ちょうど銀座に行こうと思っていた方、近くまで出かける用事のある方、そして用事はないけれど時間はあるという方、どうぞよろしくお願いします。

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2011年

5月

23日

ウェブサイトとブログを移転しました

geocitiesに置いていた個人サイトを閉め、このたびこちらを開設しました。合わせて、livedoorのブログも休止し、今後はこのサイト内で続けていくことにします。 よろしくどうぞ。

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堀切 功(ほりきり・いさお)

 

1965年生まれ。雑誌編集の経験を活かして、写真撮影や出版編集を仕事にしています。

 

詳しくは[プロフィール]をご参照ください。

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