ピョンチャン・パラリンピック報告 1

※ 半ば眠らせていたブログを久々に更新してみようと思ったのは、ピョンチャン・パラリンピックでの出来事について、facebookにそれなりの長さの文章を書いたためです。妙な話ですが、「あれをブログに持っていったほうがいいよ」と、昨夜、夢の中でアドバイスをされました。誰からかはわかりません。たぶん脳内の備忘録的な機能が働いたのだと思います。とりあえず、脳内アドバイスに従って、いくつかの投稿を転載します。

 

※ 以下、facebookより転載です。

 

ピョンチャン・パラリンピックでは、iPhoneの故障以外にもアクシデントがありました。現地で心配をおかけした方もいらっしゃるので、遅ればせながら顛末をご報告します。

 

実は、撮影終了後のスキーでの移動中に大転倒して、肋骨周辺を痛めてしまいました。状況を説明しますと、フィニッシュライン手前でコース外に出る際、ただでさえ通路が狭い上に人がいたため進路を少し変えたところ、グサグサの雪だまりにスキー板をとられて、ネットに突っ込み派手に前転。ソフトケースに入れた望遠レンズを抱えていたので、脇の下にダメージをくらいました。

 

そのときは、なかなか呼吸が整わないのと、肋骨あたりに痛みが走る程度で、すぐに起き上がって滑り出すことができました。しかし、その2日後、車いすカーリング会場からメダルセレモニー会場に移動している間に症状が急変。痛みのレベルが一気に跳ね上がり、そして呼吸困難に陥ってしまいました。

 

それでも、村岡桃佳選手の金メダル授与を撮らなければと、気持ちだけは前に向かうのですが、身体が全然ついてきません。一歩を踏み出すのさえ苦しく、「これはまずいことになった」と嫌でも自覚させられました。そのとき同行していたメディア仲間に助けていただいたことで、なんとか撮影はできたのですが、体調は依然として危うく、日本選手団団長を務める妻の大日方にSOS電話をすることに。団長経由でドクターに症状を伝えたところ、気胸の疑いがあるので、すぐに病院に行ったほうがよいとの指示をいただき、24時間対応の大会指定救急病院を教えてもらいました。

 

すぐにピョンチャンからカンヌンまでバス移動。そこからタクシーで病院へ。ここでは、病院駐在の大会ボランティアにとても助けられました。痛み止め注射の後、レントゲン撮影。幸いなことに骨に問題はなく、痛み止めの飲み薬をいただいて、事なきを得ました。

 

翌日は山に上がらず、安静にしましたが、残りの日程をどうにか乗り切って、大会最終日を迎えることができました。何かとお気遣いいただいたルームメイトとメディア仲間には、本当に感謝の気持ちしかありません。ありがとうございました!

 

帰国した今も痛みはあります。しかし、あの動けなくなるような激痛と呼吸困難には襲われていません。このまま様子を見つつ治癒を待つことになると思います。

 

以上、ピョンチャン大転倒のご報告でした。

堀切 功(ほりきり・いさお)

 

1965年生まれ。雑誌編集の経験を活かして、写真撮影や出版編集を仕事にしています。

 

詳しくは[プロフィール]をご参照ください。

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